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広島花幻忌の会(原民喜文学の研究・継承)

当会は、原民喜の文学を愛する人々の集いです。会からのお知らせを随時更新します。

原民喜没後70年記念 花幻忌の集い 碑前祭のご案内

              

     原民喜没後70年を迎えて

            ー春の碑前祭 • 記念イベントー

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 昨年以来のコロナ禍の中、皆さまにはお元気にお過ごしでしょうか。医療従事者の方々、また感染症に罹患された方々は大変な日々をお過ごしのことと拝察致します。ヒロシマの災禍に遭われた方々のご冥福と併せ、皆さまのご健康をお祈り致します。

      さて、来たる3月13日は原民喜の命日、特に今年は彼の没後70年に当たります。わが「広島花幻忌の会」は、2000年の民喜50回忌に発足以来、原民喜文学の研究・継承に努め、「新編原民喜詩集」再版や「原民喜初期作品集」刊行、機関誌「雲雀」(現在資金不足のため休刊中)や会報「近状通信」の発行、また毎年3月の碑前祭・11月の生誕祭、8月の朗読の会(「広島文学資料保全の会」との共催)、文学散歩の会などの活動を続けて参りました。原民喜にとって没後70年、会にとっては2001年の没後50年記念行事以来の大きな節目です。

 ただ広島県もなかなか感染症が収束せず、事務局も感染症の状況をぎりぎりまで様子見しておりましたため、企画やご案内が遅れてしまいました。お詫び申し上げます。2月頃より広島市の感染状況が少し収まってきましたので、ささやかな集いを執り行うことに決定致しました。

 以下ご案内致しますので、ご都合のつく方は、お身体に十分注意した上ご参加頂けましたら幸いに存じます。ご検討のほど宜しくお願いいたします。

       

                  広島花幻忌の会 事務局長 長津功三良

             

       【 原民喜没後70年 原民喜没後70年碑前祭】

  日時      3月13日(土)午後1時15分~(30分弱程度)

       ところ    原爆ドーム東側原民喜詩碑前    

       プログラム 開会の言葉

        黙祷・献花

        作品朗読

        原民喜「永遠のみどり」献唱  歌い手:乗松恵美さん 

                       伴奏:吉田仁美さん

       閉会の言葉

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https://video.mainichi.jp/detail/videos/文芸/video/6237056121001?autoStart=true

 

 

原民喜の詩「永遠のみどり」に民喜次兄の原守夫さんが作曲した歌を、原時彦さんが歌っておられます。

上記の毎日新聞Webサイトお聴きになれます。

 

※作品の朗読は、どなたでも歓迎致します。但し時間の都合上、

事前にご連絡いただけましたら幸いに存じます。

ご連絡は会事務局までお願い致します。(担当小野📞 090-1181-3075)

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   ※原民喜詩碑は、原爆ドーム東側です。

       

 【 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館主催

 ー原民喜没後70年記念朗読会ー (協力:広島花幻忌の会) 】

 日時  3月13日(土) 午後2時~(1時間程度)

 ところ 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 研修室1 ,2

    内容 「夏の花」朗読と遺族•原良子さんの口述記録「もう一つの夏の花」朗読

     

  碑前祭後は、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館主催の原民喜没後70年

記念行事が企画されており、会は協力という形で参加いたします。

この行事では、原民喜が「夏の花」に描いた場面を、民喜と共に体験した

原良子さん(原時彦氏母)の口述証言書きおこしの朗読が予定されています。

良子さんは「夏の花」で次兄の妻「嫂」として描かれており、既にご存命

中に自身の被爆体験を手記として発表されています。しかし、詳細な口述

証言も残されていたことは、皆さまも殆どご存知ないことでしょう。

 

 今回は、この貴重な証言の書き起こしを、原良子氏御子息・原時彦氏の

朗読によって再現いたします。(証言は長いため、一部抜粋を朗読。)

内容詳細は会の研究班にて分析継続中ですが、大変貴重な記録です。

 

  碑前祭・追悼祈念館記念行事どちらも、どなたでも無料で参加可能です。

皆さまもどうぞご予定をご検討の上、ご参加くださいますよう、ご案内

申し上げます。

(追悼祈念館行事参加予定の方は、できれば事前のご予約をお願い

いたします。)

 連絡先 広島市中区中島町1-6 📞082-543-6271 

    広島原爆死没者追悼平和祈念館 

 

会報から一部抜粋 🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱


 ○ 秋の文学散歩 (2020.11.1)

 今年は春に予定しておりました文学散歩を延期、11月に定員15名限定で行いました。秋の優しい日差しの中、心温まるアットホームな散策を行うことができました。コロナウイルス対策へのご協力を下さった参加者の皆さま、ご支援くださいました地域の方々に心からの感謝を申し上げます。

 

  《コース 原民喜被災地(幟町)~京橋~橋本町厳島神社原民喜ゆかりの被爆

  ~栄橋~縮景園裏手~東照宮

 

⌘  参加者の方からの声 ⌘

 『 幟町から橋本町~上幟町辺りは、職場付近でもあり見慣れた街です。川辺の風景や何気ない街の様子にも落ち着きを感じて、以前からいいなぁと思っていました。

 が、今回の文学散歩に参加し、戦前の街並みや風景を想像しながら歩いてみて、益々その感を強くしました。原民喜の文章を現場で聴きながら歩いていると、戦争や原爆で失われたものがどんなに大きかったかをしみじみ感じます。風景とともに思い出される親しい人たち、幼少期の夢想を育んだ川や街並み…。懐かしい記憶を塗り潰され、奪われてしまったような痛みを、肌で感じた思いでした。

 当日は気候もよく、解説を聞くのも歩くのも苦にならない良い散歩でした。また、機会があったら参加したいと思っています。』 平木久恵さん(季刊グランデひろしま編集長)

 

『 From the delta of Hiroshima where green

leaves glisten, may peace spread to all the world 

(青葉したたるヒロシマのデルタから、世界中に平和が広がることを心から願っています。) Peter Chordas  』

    ピーター•コーダスさん( コピーライター、通訳者グループリンクヒロシマ所属) 

 

 嬉しいお便り、ありがとうございました。文学散歩は今後も開催予定で、毎回少しずつコースに工夫を凝らし、リピーターの方にも楽しんでご参加いただけるよう企画をしております。次回の期日やコースは、ブログまたは会報にてご案内致します。

 なお、「文学散歩の会」や生誕祭の模様は「広島花幻忌の会ブログ」に詳しい報告を掲載しております。「広島花幻」でご検索の上、是非ご覧ください。

 

○秋の生誕祭 (2020.11.15) 

 

 昨年度は原民喜の誕生日11月15日が日曜日に当たっており、珍しく誕生日当日に生誕祭を行い、民喜文学を愛する方々が会場(広島市中央公民館)に集いました。

 朗読のテーマは、小説と詩双方の「永遠のみどり」。詩は広島市内の高校生2人、小説は会員の高田裕志さんによる朗読です。皆さまご存知の通り、「永遠のみどり」は、原民喜が昭和25年春、自身の最後の帰省をした折の出来事を基に描いた作品。朗読後は原時彦さんから当時のエピソードをお聞きし、作品背景への理解をより深めた思いでした。 

 その後、会場である中央公民館付近に開設されたばかりの「基町資料室」を運営されている「基町プロジェクト」スタッフの片島蘭さんから資料室の概要を。昔の基町の様子を記録した写真や資料、市営基町アパートの模型なども展示され、小さいながらも充実した展示内容です。「今後はイベントや企画展も予定しています」と、片島さん。これからが益々楽しみです。

  第二部は、会員の河野きよみさん(1931年生まれ)の被爆体験です。白木町出身の河野さんは原爆投下の翌日、2人の姉を探すために母とともに広島市内に入市し、地獄絵巻の惨状を目の当たりにしました。思い出すのも恐ろしく、長くその体験に触れることはなかったそうですが、70歳になった時「描き残して伝えなければ…」と、絵本「あの日を私は忘れない」を執筆。当日は絵本をスクリーンに映写して証言して下さいました。 

 「コノ有様ヲ伝へヨト天ノ命ナランカ」…原民喜の言葉と響き合うお話や朗読、大変有意義な生誕祭になりました。皆さま本当にありがとうございました。

 

  事務局からのお知らせ🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱

 昨年度はコロナ禍のため、集いは年に一回となりました。文学散歩も人数を

抑えての開催となり、会員の皆さまにご参加頂ける行事が大変少なくなって

しまいました。当会の活動経費は会員各位の会費によって賄っておりますの

で大変心苦しく、深くお詫び申し上げます。

 感染症予防に外出を控えた方々も多くおられると存じ、従来は集いにご

参加の方だけに配布しておりました、当会の研究資料を会報(p10~p15)に掲載

致しております。また、文学散歩のガイドブック「文学散歩のしおり」(全頁

カラー版 B5サイズ全18頁 別途カラー版B4マップ付) も、まだ若干の残部が

ございます。ご希望の会員さまには無料でお分け致しますので、事務局までご

連絡ください。(長津☎︎090 9065 5345 )

(カラー版につき制作経費が嵩みました。会員外でご希望の方は申し訳

ございませんが、印刷代+送料 300円でお分けさせて頂きます。

ご了承ください。)

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 【「原民喜初期作品集」在庫あります】 

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 広島花幻忌の会刊行の「原民喜初期作品集 死と夢 幼年画」。

(2011年11月発行、203頁) 原民喜の戦前の短編集「死と夢」「幼年画」を全て収録した、大変趣深い作品集です。内容に比して大変な廉価版で長く売り切れ状態になっていましたが、この度若干の在庫が見つかりました。ご希望の方は、事務局長津までお電話でお申し込みください。振り込み用紙同封で発送致します。

(送料税込1000円)           広島花幻忌の会 事務局長 長津☎︎090 9065 5345 

 

広島花幻忌の会 代表 友光民子

         顧問 原時彦 

          事務局長 長津功三良

   メールアドレス:hananomaboroshi@yahoo.co.jp

  事務局   📞 090-9065-5345

    

 

         #花幻忌 #原民喜 #永遠のみどり #ヒロシマ #平和        #朗読 #音楽                   

 



 

2020年 原民喜生誕祭ご報告

 

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(※ 以下の記事は2020年11月下旬公開済みでしたが、当会の手違いで昨年末

以来非公開扱いになっておりましたので、再投稿いたします。

長らくご迷惑をおかけし、大変申し訳ございません。)

 

例年になく暖かな霜月の日々が続いておりますが、

皆さまいかがお過ごしでしょうか。

広島花幻忌の会では、去る11月15日、原民喜生誕日に因んで恒例の

生誕祭を開催致しました。

新型コロナウイルス感染症未だ収まらぬ中での催しでしたが、

ご参加の皆さまのご協力により、無事に終えることができました

ことに厚く御礼申し上げます。

以下、写真と共にご報告いたします。

 

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遺影の前に献花し、民喜や原爆犠牲者の方々に黙祷を捧げます。

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最初は朗読コーナー。

広島市内の高校生2人が『原爆小景』から「日ノ暮レチカク」・

「コレガ人間ナノデス」、「小さな庭」から「かけかへのないもの」

などを朗読。

最後は声を合わせて、詩「永遠のみどり」を謳い上げるように。

 

「…とはのみどりを/とはのみどりを/ヒロシマのデルタに/青葉したたれ」。

作品の言葉が余韻する中、

「私たちの生きる未来には、戦争も核兵器も必要ありません。

平和な未来を作るため、これからも努力します!」と高らかに宣言し、

会場からは大きな拍手が湧き起こりました。

 

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続いて会員の高田裕志さんによる、小説「永遠のみどり」の朗読です。

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「梢をふり仰ぐと、嫩葉のふくらみに優しいものがチラつくようだった。

樹木が、春さきの樹木の姿が、彼をかすかに慰めていた。…」。

 

静かで落ち着きのある声が、会場内に響いてきます。

若者たちの瑞々しい朗読とは、また一味違った、大人の「聴かせる朗読」です。

 

 

小説「永遠のみどり」は、民喜が自らの自死前年の1950年4月に、

最後の帰郷を果たした折の出来事を描いた作品。

作品全体に、民喜が愛してやまなかった「みどり」の描写がちりばめられ、

彼が最後に目にした故郷の姿を彩ります。

「…子供の時、見なれた土手町の桜並木、少年の頃くらくらするような気持で

仰ぎ見た国泰寺の楠の大樹の青葉若葉、……そんなことを考え耽けっていると、

いま頭のなかは疼くように緑のかがやきで一杯になってゆくようだった。」…

民喜の眼には、未だ広島の至るところに「死と焔の記憶」が映っています。

しかし「平和講演会」に集まった人々の平和を求める熱意を前に、彼の眼前には

「緑色の幻」が現れてくるのです。

 

聴き入る会場内の方々の心にも、「緑の幻」が蘇ってきます。

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「目を閉じて朗読を聴いていると、戦前の広島の風景がありありと

思い出されてきました。国泰寺の楠の大樹は、そう、その通りでした。

立派な太い太い幹に、葉が青々と茂って、枝は電車通りに覆い被さ

っていて、電車の上の方まで届かんばかりでした。

聴きながら、あの頃が懐かしくて胸が一杯になり、涙が出そうになり

ました…。」

そう感想を漏らされたのは、古くからの会員さん(87歳:女性)。

「みどりと言えば、饒津神社辺りも鬱蒼とした杜でした。

深い深い葉の碧さ、濃い緑、新緑の若葉のみどり…。木々はどれも

幹が太く立派で、昼間でも薄暗いくらい。

静かで厳かな感じがして、しっとりとした潤いに満ちていました。

松の並木が続いていて、赤松も黒松も沢山ありましたねぇ…。

今とは全然違っていたんです。ああいう昔の風景を、民喜さんは

本当によぅ書いて下さったと思います。

聴きながら、懐かしい戦前の風景が、一度に蘇ってきました」。

 

朗読によって蘇る言葉の力…。素晴らしいですね。

高田さん、情感溢れる朗読を本当にありがとうございました。

 

続いて会顧問で原民喜甥の原時彦さんが、小説に描かれた

場面に関しての証言を語ってくださいます。

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小説「永遠のみどり」には、民喜が最後の帰郷の折に幟町や

「夏の花」で行動を共にした次兄の店を訪れて、

「みんなが揃っているところを一寸だけ見せてください」。

と、暇乞いをするかのように身内の者一同の顔を眺める場面も

描かれています。

 

「次兄」とは、原さんのお父さま。一家は時彦さんのご家族で、

民喜の願いに応じて出てきた一同というのも、原さんご自身や

ご兄弟姉妹です。

 

『母によると、その日夜、表戸をトントンと叩く音がして、出ると

父と一緒に民喜が立っており、民喜が「みんなを起こしてもらえ

ませんか」と言ったんだそうです。』

『私はまだ子どもでしたから、寝とったのを起こされて会いに出て

きたんですが、民喜は一人一人の顔をじっと見て、「ふんふん」と

納得したように頷いて、

「夜分遅くにすみませんでした、お邪魔しました、それでは…」

と帰っていきました。

その時はわからなかったんですが、後であれは民喜のお別れの挨拶だったん

だなと思いました…』

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 東照宮から避難した八幡村で、民喜と寝食を共にした原さんの、

大変貴重な体験談です。「夏の花」に描かれた民喜一行が、

そのまま丸ごと自身のご一家である原さん。

民喜自身の遺言により、原さんは彼の著作を管理する役目を命じられ、

長年に渡って「民喜の代役」を務めてこられています。

 

民喜が自身の帰郷や平和講演会などを描いたエッセイ「ヒロシマの声」

なども紹介。

来年数えでの米寿を控えた現在もなお、その役目をきちんと遂行されて

います。

天国の民喜さんも、きっと微笑んで下さっていることでしょう。

 

 

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第一部の締め括りは、広島市立大学特任教員・片島蘭さんに

よる、「基町資料室」のお知らせです。

資料室は、今年10月1日にオープンしたばかり。

場所は、今回の会場「中央公民館」から徒歩数分、基町郵便局

のすぐ近くです。

広島市広島市立大学が行う、アートを活かして

街の活性化を進める「基町プロジェクト」の活動の一環として

開設され、戦前の基町や復興期を伝える写真や資料、市営基町アパート

の模型なども展示されています。

原民喜さんの作品に描かれた、昔の基町の様子もご覧いただけ

ます。是非ご覧下さい!」と、片島さん。

 

資料室は、月・火曜日を除く毎日の、正午から午後5時まで開館

しており、入館無料。展示物は定期的に入れ替え、イベント

も随時開催予定だそうです。今後も益々楽しみですね!

 ※「基町資料室」広島市中区基町18-4-1 分散店舗208号 ☎︎092-555-8250

 

 

続いて第二部は、河野きよみさんが経験された、被爆体験です。

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広島県白木町出身の河野さんは、被爆当時14歳の女学校2年生。

原爆投下翌日の8月7日、宇品に嫁いでいた長姉、広島市内で

看護婦をしていた次姉さんを探すため、お母様と広島市内に

入って、原爆投下直後の様子を目の当たりにされています。

「市内に近づくに連れ、被爆されて逃げてくる方々の行列が

長く長く続いているのが、目に入ってきました。

もう、人間ではない、お化けのような姿で歩いておられるんです…。

市内は街中が負傷者や死体だらけでした。熱線に灼かれた身体は、

2倍にも3倍にも膨れ上がり、赤鬼のよう。男か女かもわかりません。

目玉が飛び出た人、内臓が流れ出している人、炭の棒のように

なった死体の方もおられました。もう、怖くて怖くて…。

母親にしがみつきながら必死で歩きました…。

歩いていると、足先にグニュッとした感触がするんです。

それは、酷い火傷をして倒れている人たちの死体でした…。

まだ虫の息で、生きておられる方もおられるんです。

怖くて見たくない、でも下を見なければ踏んでしまいます。

あの日のことは一生忘れることができず、思い出すこと

さえ恐ろしく思っていました…」。

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多感な少女時代に、阿鼻叫喚の地獄絵の中を彷徨う体験をされ

た河野さん。

高齢になるまで、その体験に触れることができなかったそうですが、

年齢を重ね70歳になった時、あの日のことを書き残すべきだ、

と思い直したそうです。

思い切って絵筆を執り、広島NHKが募集した「市民が描いた原爆の絵」

に応募。それがきっかけとなり、あの日のことを絵日記のように

まとめた絵本「あの日をわたしは忘れない」を出版されています。

 

上のスクリーンに映っているのは、広島赤十字病院の花壇の上に、材木の

ように積み重なって死んでいた、同年齢の中学生たちの絵です。

『…中々絵筆が進まず、愚図愚図していた時、あの少年たちが夢に出てきた

んです。「早く、僕たちのことを描いてください。僕たちのことを代弁して

ください」。と、叫んでいる夢でした…。うめき声、泣き声が聞こえてくる

ようで苦しくなりましたが、どうしても描かなくてはならない、と思ったん

です』。

 

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迫真のお話に参加者の方々も皆、心を傾けて聴き入っています。

『「お腹いっぱいご飯を食べたい」「お母さんに会いたい」

「お友達と遊びたい」「勉強やスポーツをしたい」…。

きっとそれぞれに、沢山の夢や希望があったでしょうに、

彼らは一瞬の光線によって僅か13、4歳で死んでしまいました。

原爆にさえ遭わなかったらと思うと無念でなりません。

でも、人間は希望を失ってはならないと思います。一人ひとりの

小さな声でも、沢山集まればきっと大きな力になり、平和な世界を

築いていけると信じています』。

 

 

最後にそう訴え、朗読の高校生たちにも一人ひとり、声をかけた河野さん。

高校生たちも前を向き、しっかりと頷いていたのが印象的でした。

「コハ今後生キノビテコノ有様ヲ伝へヨト天ノ命ナランカ」(原民喜「被災時のノート」)

との言葉が、会場内にいる人々の心にも蘇ってきます。

貴重な証言に、心から感謝いたします。

 

参加者の皆さま、貴重な証言をお聞かせくださった原時彦さん、

河野さん、また朗読の高校生や高田さん、基町資料室の片島さんら、

大変多くの方々のお陰をもちまして、有意義かつ心温まる集い

になりました。

厚く御礼申し上げます。

 

皆さま、本当にありがとうございました。

 

 

 

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⭐️なお、同日11月15日には、生誕115年を迎えた民喜さんに、

もう一つの誕生日プレゼントがありました。

この日の「HIhukusyoラジオ」は、民喜の詩から題名を取った著作、

「パット剥ギ取ッテシマッタ後の世界へーヒロシマを想起する思考」

を書かれている柿木伸之さんへの奥行き深いインタビュー。

それに続いて、パーソナリティーの土屋時子さんが原民喜

「夏の花」抜粋を朗読して下さったのです。

和やかで温かい、心のこもった大変素敵な朗読でした。

「Hihukushoラジオ」で検索クリックすると、どなたでも無料で

お聴きになれます。

バックナンバーも、広島花幻忌の会初代会長の息子さんである大牟田聡さん、

会員の切明千枝子さんへのインタビュー等、聞き応えのある番組が揃ってい

ます。どうぞお試しください!

 

 

 

 

 

# 原民喜 # 夏の花 # 平和 # ヒロシマ # 花幻忌 # 永遠のみどり 

 

2020年秋の文学散歩ご報告

 

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春から長らく延期になっておりました、会主催の「文学散歩」。

今回は規模を15人限定と縮小して11月1日(日)に催行し、無事に終了致しました。

以下、写真と共にご報告申し上げます。

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  集合場所は、広島市中区幟町の世界平和記念聖堂。

広島で被爆したフーゴー・ラッサール神父の呼びかけに応じ、

世界中から集まった厚意や募金によって、原爆投下から9年後、

1954年に建てられました。

  被爆前は、この広大な敷地は一面に民家が建ち並ぶ住宅地。

前身「幟町天守公教会」は、現在の敷地(住宅地)の北辺りに位置

し、木造平屋造りの目立たない和風建物であったといいます。

 現在隣接されている音楽大学も勿論まだなく、向かいの幟町小学校も

現在地より北(現在の幟町公園の位置)。

 民喜が少年時代を送った明治から大正期、まだ街は城下町の面影を

色濃くとどめており、現在の様子とは全く異なる風景でした。

 

二階建てであった民喜の生家からは、物産陳列館(原爆ドーム)

の屋根まで見渡せていたことが、民喜の作品にも記されています。

 

 初めに訪れたのは、原民喜被災地(生家跡)。

現在はエリザベト音楽大学やマンションが建ち並んでいます。

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『…私は厠にいたため一命を拾った。…突然、私の頭上に一撃が加えられ、

目の前に暗闇が滑り墜ちた…』。(「夏の花」より)

「この辺りが原民喜生家の厠の位置でした。」と、説明をする、

民喜の甥で著作権継承者、また会の顧問でもある原時彦さん。

参加者の皆さんも真剣に聞き入っておられます。

 

8/6当日、原民喜は被災地から川を目指して北へ向かい、栄橋へと到着

しますが、

文学散歩一行は、栄橋より少し下流の京橋と、京橋袂の橋本町厳島神社

を経由し、川辺を描いた戦前の作品を味わいます。

下の写真は、市杵嶋姫神社(橋本町厳島神社通称名;明神さん)。

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京橋はすぐ近くに。橋の名は、広島城から京に向かう起点となることから名付け

られました。現在の橋は昭和2年に架け替えられたものですが、

丈夫な鋼橋で原爆でも落橋しませんでした。

民喜の作品の数々に描かれています。

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京橋欄干の南向こうには、比治山も見えています。

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昔は柳が生い茂る川辺であった、この一帯。

明神さんが勧請された江戸時代頃から、この川岸は「明神の浜」

と言われるようになりました。

毎年旧暦6月16日の管弦祭の折には、管弦船のお供をする御供船(おともんせん)

が繰り出し、夕暮れの川面には華やかに揺れるお供船の灯と、

護岸の民家の紋入り高灯籠が対照的に映え、幻想的な美しさであっ

たことが伝えられています。

 

『…昔、管弦祭の夜には京橋の明神の浜におとぼん船がやつて来た。

橋の上にはぞろぞろと人がひしめきあつて…(中略)…

かがり火が水に映り、衣装の金糸銀糸が火に照らされてー

それを見てゐると子供の私には、これはまるで幻夢の世界であつた。…』

(昭和25年12月7日 中国新聞 原民喜「広島の牧歌」より)

民喜少年の夢想を育んだ、美しい故郷ひろしまの川と街。

作品を味わいながら、参加者それぞれが、民喜が愛した戦前

の広島に思いを馳せます。

 

そのまま北へ、秋の川辺や雁木を目にしながら川辺を歩き、

原民喜ゆかりの被爆柳」へと向かいます。

(雁木のある光景も、民喜は作品内に描いています。)

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ここが民喜の持ち家で、本籍も置かれていた被爆柳のある地。

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柳には案内板も。

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『…その借家は母の遺産として彼が貰ったのだが、次兄がずっと棲んでいた。

生涯に一度はあの川端の家で暮らしてみたい、と妻は旅先の侘住居でよく

彼に話していた。…(中略)…彼はよくその次兄の家へ立寄った。玄関に佇めば庭と

座敷と川が一目に見渡せた。その庭先の緑樹は殆ど見おさめのように絢爛

としていた。…』(「火の踵」より)

「次兄一家」とは、原時彦さんのご一家。

当時の話に、皆さん熱心に聞き入ります。

 

ここから更に北へと秋の川辺を。

ほんのりと紅葉し始めた木々、美しい花々が目を楽しませてくれる

京橋川沿いの緑地帯。

花々は、町内会の老若男女で成る「花咲く水辺の会」の皆さんが、

月に2回集まって定期的に手入れをし、丹精込めて育てた花を

季節に合わせて植え替えてくださっています。

水辺の会の皆さん、美しい花々と緑を本当にありがとうございます!

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ここが栄橋。明治39年(1906)に豪商・熊谷栄次郎によって架橋され、

橋の名はその名一字を取って命名されたもの。

昭和5年に鉄筋コンクリートの橋として再架橋されており、

原爆にも落橋しませんでした。

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『…煙は崩れた家屋のあちこちから立昇っていたが、急に焔の息が烈しく

吹きまくっているところへ来る。走って、そこを過ぎると、道はまた平坦

になり、そして栄橋の袂に私たちは来ていた。…』(「夏の花」より)

 

この橋の近くでひと休み。

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文学散歩資料に目を通し、ゆっくりとお話を。

京橋川は栄橋より少し南、「上柳橋」東詰の「台屋(だいおく)の鼻」

で東と西に分岐。

ここからは右だけを京橋川、左に分岐した川を猿猴川と呼びます。

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写真中央が台屋(だいおく)の鼻。(出鼻(でび)とも呼ばれる。)

現在は上柳橋(右)と広島駅に向かう駅西高架橋(車専用。人・自転車は併設の

駅西歩道橋を渡る)が架橋されていますが、どちらも戦後のもの。

戦前の町名からその名を取った上柳橋は昭和41年(1966)、

駅西高架橋(駅西歩道橋)は昭和61(1986)の架橋です。

昔は軍事上の理由で架橋制限をされていたのです。

 

猿猴(えんこう)」とは、川に棲んでいたという、猿に似た河童の姿をした

妖怪の名。川に潜み、泳いでいる人の足を捕まえ、川の中に引きずり

込んで肛門から腹わたを抜き取る、と言われていました。

猿猴伝説など地域の逸話も聞きながら、戦前の広島の雰囲気

を感じていくと、「夏の花」の乾いた無機質な光景が、より一層

異様なものとして迫ってくるのを実感します。

 

今回の文学散歩には、リピーターの方、初参加の方々のほか、

平和公園通訳ガイドの皆さんで構成する「リンクヒロシマ

の皆さん8名も参加されました。

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メンバーの方々は、今年春の会の集いで作品朗読の予定でしたが、

春の集いは延期に。秋の集いも日程が合わず、発表は来年度の

集いまで持ち越しとなっていますが、皆さんよく

勉強されており、質問も積極的で大変に熱心です。

 

「民喜たちは、栄橋から縮景園(泉邸)へと避難し、火が廻ってきたので

そこから常盤橋袂まで筏で渡り、そこで一晩野宿したんです。

初めは砂州にいたんですが、そのうち潮が満ちてきたので

砂州から土手に上がって。私の父母と女中さん、赤ん坊だった下の妹、

民喜たちは土の窪みに横たわって一夜を明かしました…」。

 原さんの言葉の一つ一つを噛みしめながら深く頷いているのは、

メンバーの1人、アメリカ合衆国出身のコピーライター&

フォトグラファーのピーターさん。(下写真左)

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原民喜の研究をするためにポーランドから来日し、以来約30年在広して

大学で教鞭を取っている、会員のウルシュラさん(写真右)とも挨拶を。

大変インターナショナルな文学散歩になりました。

 

時間の関係もあり、栄橋からは東照宮まで車での移動です。

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栄橋を渡り、対岸の縮景園(泉邸)竹藪(写真上)を眺めながら、

民喜たちが一夜を明かした常盤橋袂を経由。

(写真下は、縮景園側から常盤橋と袂の砂原を撮影。

民喜たちは縮景園から筏で川を渡ってこの砂原に辿り着き、

土手に上がって一夜を過ごしました。)

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民喜と妻・貞恵が結婚式を挙げた鶴羽根神社は車窓から。

この一帯は広島城から見て鬼門(北東)に位置するため、鬼門守護の

寺社が集まっています。

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本日の最終地点、広島東照宮

民喜たち一行は縮景園対岸で一夜を明かした後、8月7日に

この境内へ辿り着き、同日夜はここで野宿。

東照宮には被災者の施療所が設けられていたことも

あって、栄橋ではぐれていた姪(時彦さんの上の妹)ともここで

再会。翌8日に馬車で八幡村へと向かうまでの約24時間を、

一行(民喜、時彦さんの父母と妹2人、女中さん)6人が

ここ東照宮境内で過ごしたのでした。

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二葉山を背景に、急な階段が圧倒的な迫力です。

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境内には被爆65周年に当たる2020年、民喜の言葉を刻んだ

追悼碑が建立されています。(写真下)

「コハ今後生キノビテコノ有様ヲ伝へヨト天ノ命ナランカ」

  (「被災時のノート」からの一節)

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追悼碑には「5年後」と題する、あの日の回想を記した民喜

エッセイの銘板も。

「一行はこの石垣(写真下、左手前の石灯籠の後ろの石垣付近)

辺りに屋根を作って野宿しました。

民喜は、ここで携えていた小さな手帳(「被災時のノート」)

に記録を綴り、それを基に八幡村で作品を書いたんです…」。

説明を食い入るように聞く皆さん。

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質問も大変活発でした。

 

「リンクヒロシマ」のピーターさんからは、後日以下のメッセージもいただきました。

「 From the delta of Hiroshima where green leaves glisten, may peace spread to all the world. 

- Peter Chordas

青葉したたるヒロシマのデルタから、 世界中に平和が広がることを心より願っています。

ピーター コーダス」

民喜の言葉によって世界に広がる平和の輪。嬉しいですね。

 

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「世界平和の実現を願って活動しています。

 朗読も頑張ります!」と、メンバーの皆さん。

 

その他の参加者の方々も、大変お疲れさまでした。

無事に良い文学散歩になりましたことを感謝いたします。

 

なお、当会の文学散歩は、地域の各町内会や近隣の方々と連携し、

また東区地域おこし課からもお力添えを賜わり、

多くの団体や個人の方々から、ご協力並びに応援やご支援を頂いております。

この場を借りまして、心からの御礼を申し上げます。

皆さま、本当にありがとうございました。           

                           広島花幻忌の会

 

🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱

 

11月15日(日)の生誕祭も宜しくお願い致します。

詳細は一つ前のブログ記事にご案内を掲載しております

ので、どうぞご覧ください。

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(2020.10.27 中国新聞 文化欄より)

 

# 原民喜 # 永遠のみどり # 被爆樹木 # 夏の花 # 文学散歩 # 花幻忌 # ヒロシマ 

# 平和 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年 原民喜生誕115年記念 生誕祭のご案内・お詫び

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朝晩肌寒くなってまいりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

来月11月15日は、原民喜生誕115年目の誕生日に当たります。

新型コロナウイルス感染症を鑑み、当会では春の行事を延期しており

ましたが、今秋は小規模ながら再度催しを企画しております。

お忙しい時期とは存じますが、ご予定をご検討くださいますよう、

ご案内申し上げます。            (入場無料)

 

日時 11月15日(日)  午後1時半〜3時半頃まで

ところ 広島市中央公民館 3階大集会室2

              (広島市中区西白島町24-36 ℡082-221-5923)

 

※ 各席の間は広く取り、消毒液その他の用意をいたします。

マスクは各自でご持参ください。

なお、受付ではご連絡先のご記入をいただきますので、

ご協力ください。

 

 

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 🌱その他お知らせ🌱

● 夏の朗読会では、旧陸軍被服支廠を会場とした、初の朗読会にご協力

頂き、誠にありがとうございました。

この度、被服支廠の保存・活用を考えることを主眼とし、

小さな小さなラジオ曲「Hihukushoラジオ」が開設されました。

パーソナリティーは、広島文学保全の会代表の土屋時子さん。

月に2回の配信で、毎回ゲスト招いての内容の濃い充実した

トークが繰り広げられています。

「Hihukusho」で検索、クリックするとどなたでも無料で

お聴きになれます。是非お試しください。

 

●国立広島原爆死没者追悼祈念館にて開催中の「ーヒロシマを描き

続けた四國五郎と死の床でつづった直登の日記展ー」は、

当初2020年末日までの開催となっておりましたが、感染症予防の

ための臨時休館期間が入ってしまったため、下記の通り会期延長

になりました。

見応え聞き応えのある、大変優れた映像と展示です。

皆さまも是非足をお運びください。

 ※延長後 2020年1月1日〜2021年2月28日(日)まで

 

 

🌱🌱🌱🌱🌱【 お詫び 】🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱🌱

 

 会員の方々にはこれらネット掲載分ページの他、各種ご案内及び

読み物・参考記事などを加え、会報を封書郵送にてお届けさせて

頂いております。

 今回、10月17日発送分の一部の方々に、当会の計量ミスにて郵送

料金の不足(10円)が発生してしまいました。

 事務局に返送されたもの以外に、既に皆さまのお手元に届き、

不足料金を請求された方々がおられるかと存じます。

誠に申し訳ございませんでした。

 今後はこのような手違いは起こらないよう、十分に注意いたし

ます。

 大変なご迷惑をおかけ申し上げてしまいましたこと、

この場をお借りして心よりお詫び申し上げます。

 

       広島花幻忌の会 事務局長 長津功三良

               連絡先 090-9065-5345

                                                      メール hananomaboroshi@yahoo.co.jp

 

 

 

# 花幻忌 # 原民喜 # 永遠のみどり # 平和 # 文学散歩 # ヒロシマ # 原爆文学

 

 

2020年夏の行事ご報告

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 被爆75年を迎えた2020年8月15日、今年も恒例の「原爆・反戦詩を

読む市民の集い(広島文学資料保全の会・広島花幻忌の会共催)

を開催致しました。

 今年の会場は、広島市南区の旧陸軍被服支廠広島市内最大級の

被爆建物です。全4棟から成る被服支廠は、戦前は軍部の衣服・軍靴

などの軍部衣服関連物を製造する施設。被爆時には、レンガ造りで

あったために焼失・崩壊を免れ、被災者たちの救護所として機能し

ました。

焼けたレンガと赤錆びた鉄の扉の中には、今でも当時の痕跡

をとどめたようなひっそりとした空間が息づいています。

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 以下、写真とともに朗読会のご報告を申し上げます。

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 広島花幻忌の会からは、大学生と市内の高校生らによる民喜作品の朗読を。

 子どもの頃から参加しているリーダーの中原奏さんは、今春から大学1年生。

花幻忌の会や中学高校での活動を通して平和に対する意識を高め、

大学でより学びを深める第一歩を踏み出したばかりです。 

 今回は民喜の言葉に自身の思いを絡めて平和への希望を語り、

立派に進行役を務めました。

 高校生3人らは、原民喜の作品に感銘を受けての参加。

それぞれが「コレガ人間ナノデス」「日ノ暮レチカク」

「かけかへのないもの」など、民喜の言葉に心を重ねての朗読です。

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最後は「永遠のみどり」を力強く全員で。若々しく瑞々しい声には、

戦争のない明るい未来を希う気持ちが溢れていました。

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朝鮮半島の伝統的な民族楽器「チャンゴ」。「死者に捧げる鎮魂の演奏」

をぺ・ハクティさんが奏でます。その素朴な響きは被服支廠に木霊し、

死者たちへの追悼のように流れ…。

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山下雅靖さんのピアノにのせて、声楽家の今田陽次さんがバリトン

の独唱を。

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曲目は、四國五郎さんの詩に山下雅靖さんが曲を付けた

「奪われたもの」や「灯ろう流し」など。

四國五郎さんの言葉に触れ、大変な感銘を受けたという今田さんは、

長年心の中にあった四國五郎さんの言葉を歌曲に託し、心に沁み

いる歌声で再現。

肉親を喪った苦しみと悲しみと…。言葉は曲とともに参加者それぞれ

の心の中に哀切に滲みます。

 

四國五郎さんの日記や、栗原貞子さんの「ヒロシマというとき」

などの朗読もあり、林幸子さんのお孫さんに当たる中山涼子さんは、

ヒロシマの空」を朗読。

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最後は、広島文学資料保全の会の皆さんによる、峠三吉の「倉庫の記録」

「仮包帯所にて」「原爆詩集」序などの群読です。

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原爆投下後に救護所となった被服支廠内の様子

を綴った峠三吉の「倉庫の記録」。

倉庫内で苦しみ悶える被災者の方々の様子が保全の会の方々の

臨場感に満ちた朗読で再現され、聴衆の方からは

「この場で聴くと、惨状が一層の現実感を帯びて

浮かび上がってきます。無くしてはならない貴重な

遺構だと改めて実感しました。」との感想も聞かれました。

 

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被服支廠で製造された軍帽を見つめる高校生

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帽子内側には、昭和18年との製造年も記載。

 

戦前にこの被服支廠で製造された帽子をお持ち下さった方もおられ、

参加者たち各々が被服支廠の持つ「軍都・広島」と「被爆」という

痛ましい歴史を改めて感じ、考える契機になりました。

よりよい保存・活用を目指して皆で協力・努力していきたいものです。

 

当日は酷暑の中、新型コロナウイルス感染症で様々な制約があったにも

かかわらず、多くの方々がご協力くださり、約90人の方々のご参加

を賜りました。文学資料保全の会の皆さまをはじめ、ご協力やご参加の

皆さまに厚く御礼申し上げます。

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(8/16読売新聞)

 

 

※なお、新型コロナウイルス感染症のため延期としておりました

原民喜命日の集い」は、秋の恒例行事「原民喜生誕祭」に

併せて再度催行予定です。

秋の文学散歩も再度企画しておりますので、また追って詳細を会報やブログで

お知らせさせていただきます。引き続きどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

#原民喜 #峠三吉 #栗原貞子 #平和 #夏の花 #ヒロシマ #花幻忌 #朗読

#被服支廠 #永遠のみどり

 

 

 

 

 

 

 

2020年夏の行事ご案内 ー8・15 朗読会 (広島花幻忌の会 広島文学資料保全の会 共催)ー

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    新型コロナウイルス感染症が収束しない中、大雨豪雨による被害も

多発し、何かと落ち着かない日々をお過ごしのことと存じます。

皆さまお健やかにお過ごしでしょうか。

 今年の夏は、毎年 広島文学保全の会と共催で行なっております恒例の

「8・15朗読会」を、久しぶりに屋外開催いたします。

現在、保存・活用策が検討されている旧陸軍被服支廠での朗読会です。

朗読はもちろん、チャンゴ演奏やバリトン独唱も予定されています。

 

  被爆75年を迎え、被爆体験の風化が益々懸念されております。

お目通しの上、ご参加をご検討くださいますようご案内申し上げ

ます。

 

       日時     8月15日   午後2時半~4時

       ところ  旧陸軍・被服支廠 

                       (広島市 南区出汐2丁目)

       ※ 八丁堀から 広大医学部・旭町行き 広島バス 「出汐町」下車

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 ※毎年夏の近状通信でご案内しております「縮景園原爆犠牲者慰霊

供養式」は、新型コロナウイルス感染症のため、今年はご遺族の

参加のみで開催予定です。会報でのご案内は控えさせて頂きます。
                                                                       

※延期としておりました「文学散歩の会」と「花幻忌の集い」は、

感染症の状況や会員の年齢層等の諸条件を鑑み、秋の開催を目指し

て再検討しております。決定次第、会員の皆さまには改めてお知ら

せさせて頂きます。

 

  広島花幻忌の会 ニュース

【 国立広島原爆死没者追悼祈念館   原民喜の遺影登録】

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    平和公園内のレストハウス南側にある、国立原爆死没者追悼館。

原爆死没者の尊い犠牲を銘記し、その体験を継承して平和な世界

を築くために2002年8月に開館した国の施設です。

  館内には、平和祈念死没者追悼空間があり、爆心地の「島病院」

付近から見た被爆後の街並 みを死没者数と同数のタイルを使い、

パノラマで表現。遺影コーナーでは、原爆死没者の名前と遺影を

公開し、亡くなった方々の被爆時の状況及びその後の経緯などの

事実を伝えています。この祈念館に2020年5月11日、遺族・原時彦

さん(民喜の甥・著作権継承者)によって、原民喜の遺影が登録され

ました。

 

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上 2020年5/12読売新聞

下 2020年5/12中国新聞

 

  登録された情報は、公開・非公開を選ぶこと もでき、プライバシー

等への配慮もなされています。しかし被爆後60年近く経過して設立さ

れたこともあり、未だ登録されていない方々が多くいらっしゃるのが

現状です。「ここに登録しておけば、永久に被爆の記録を残すことが

できる。原民喜の登録が多くの被爆者の方々の登録の契機となれば…」

と、広島花幻忌の会の長津事務局長。同館では民喜に続き、

5月21日、被爆作家・太田洋子さんの遺影も登録されました。

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 (上の写真は地下2階の遺影コーナー。登録された方を検索し、

画面上で確認することができます。)

  同館には他に体験記閲覧室や被爆体験を聞くための研修室など

もあり、情報展示コーナーでは現在「時を超えた 兄弟の対話」

というタイトルの企画展が催されています。画家・四國五郎さん

の作品と、被爆死した弟、直登さんの残した日記を中心にした

展示です。

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  展示室中央の大画面に映し出される映像に添えられているのは、

俳優・木内みどりさんによる、心のこもった朗読音声。

昨年秋、急逝される直前に収録されたものです。

被爆75年の夏、皆さんも訪れてみてはいかがでしょうか。

 


【 コロナ禍の中での会の活動 】

 

  突然世界中に襲いかかってきた、新型コロナウイルス感染症

広島花幻忌の会でも、春の集いや文学散歩の延期を余儀なくされています。

多くの方々にお 集まり頂く催しに関しては会員の年齢層を勘案した結果、

感染症が落ち着くまで延期しておりますが、原民喜文学の研究・継承の

活動は細々と続けています。

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   上の写真は、今年の夏に広島市内の高校で行われる平和学習のため、

原民喜詩碑前でビデオに向かい、生徒たちに語りかける原時彦さんの

様子です。

  コロナ禍の中にあっても、電子黒板やオンライン授業の普及により、

新しい形での継承活動が可能であることを実感しています。

被爆体験を風化させないため、世話人・会員有志らが力を合わせて会の

活動を続けています。

   広島花幻忌の会では長年に渡って原民喜に関する講話・レクチャー・

フィールドワークなどを、公民館や学校・サークル等の依頼に応じて

顧問・原時彦さんと会員らのボランティアで行ってきました。

自主制作DVDや会作成の小冊子など、工夫を凝らしたオリジナル資料も

徐々に整えてきています。

  講話等の依頼は随時受け付けておりますので、事務局までお気軽にお

問い合わせください。

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八幡公民館での講話

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  広島市内小学校でのレクチャー

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フィールドワーク(文学散歩)

 

※  会報や朗読会等の活動経費は会員年会費2000円で賄っており

    ます。会員の方々は会費の納入にご協力頂けましたら幸いです。

    新規入会などご不明な点は、事務局までお問い合わせください。

                                     連絡先     mail  hananomaboroshi@yahoo.co.jp

                                                  📞 090-9065-5345 (事務局 長津)

 

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

原民喜 #平和 #ヒロシマ #花幻忌 #平和学習 #語り継ぐ

 

 

 

2020年「花幻忌の集い」延期のお知らせ

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 現在発生しております新型コロナウィルス感染症の情勢を鑑み、

ご参加の方々の安全を考慮しました結果、3月15日(日)に予定して

おりました「原民喜 花幻忌の集い」の開催は、延期と決定させて

いただくことになりました。

 開催を楽しみにしていただいていた皆さまには大変ご迷惑を

おかけし、深くお詫び申し上げます。

 

 改めての開催時期につきましては状況が回復次第、再設定する予定です。

内容に関しましても可能な限り2月の会報やブログでお知らせしました

プログラムのまま移行するよう尽力いたします。

 

 なお、会員各位には2月の会報「近状通信」にて4月5日(日)の「ふるさと

文学散歩」のご案内を郵送させていただいておりますが、こちらも併せて延期

致します。たくさんのお申込みを頂きましたのに、申し訳ございません。

状況が落ち着いて参りましたら再度日程をお知らせさせていただきます。

 

ご不明な点がございましたら、事務局までお電話かメールでお問い合わせ

くださいますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

                                                    広島花幻忌の会 事務局長 長津 功三良

                                                           ☎︎  090-9065-5345 

                                                         mail  / hananomaboroshi@yahoo.co.jp

 

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