春から長らく延期になっておりました、会主催の「文学散歩」。
今回は規模を15人限定と縮小して11月1日(日)に催行し、無事に終了致しました。
以下、写真と共にご報告申し上げます。
集合場所は、広島市中区幟町の世界平和記念聖堂。
世界中から集まった厚意や募金によって、原爆投下から9年後、
1954年に建てられました。
被爆前は、この広大な敷地は一面に民家が建ち並ぶ住宅地。
前身「幟町天守公教会」は、現在の敷地(住宅地)の北辺りに位置
し、木造平屋造りの目立たない和風建物であったといいます。
現在隣接されている音楽大学も勿論まだなく、向かいの幟町小学校も
現在地より北(現在の幟町公園の位置)。
民喜が少年時代を送った明治から大正期、まだ街は城下町の面影を
色濃くとどめており、現在の様子とは全く異なる風景でした。
二階建てであった民喜の生家からは、物産陳列館(原爆ドーム)
の屋根まで見渡せていたことが、民喜の作品にも記されています。
初めに訪れたのは、原民喜被災地(生家跡)。
現在はエリザベト音楽大学やマンションが建ち並んでいます。
『…私は厠にいたため一命を拾った。…突然、私の頭上に一撃が加えられ、
目の前に暗闇が滑り墜ちた…』。(「夏の花」より)
「この辺りが原民喜生家の厠の位置でした。」と、説明をする、
民喜の甥で著作権継承者、また会の顧問でもある原時彦さん。
参加者の皆さんも真剣に聞き入っておられます。
8/6当日、原民喜は被災地から川を目指して北へ向かい、栄橋へと到着
しますが、
文学散歩一行は、栄橋より少し下流の京橋と、京橋袂の橋本町厳島神社
を経由し、川辺を描いた戦前の作品を味わいます。
下の写真は、市杵嶋姫神社(橋本町厳島神社、通称名;明神さん)。
京橋はすぐ近くに。橋の名は、広島城から京に向かう起点となることから名付け
られました。現在の橋は昭和2年に架け替えられたものですが、
丈夫な鋼橋で原爆でも落橋しませんでした。
民喜の作品の数々に描かれています。
京橋欄干の南向こうには、比治山も見えています。
昔は柳が生い茂る川辺であった、この一帯。
明神さんが勧請された江戸時代頃から、この川岸は「明神の浜」
と言われるようになりました。
毎年旧暦6月16日の管弦祭の折には、管弦船のお供をする御供船(おともんせん)
が繰り出し、夕暮れの川面には華やかに揺れるお供船の灯と、
護岸の民家の紋入り高灯籠が対照的に映え、幻想的な美しさであっ
たことが伝えられています。
『…昔、管弦祭の夜には京橋の明神の浜におとぼん船がやつて来た。
橋の上にはぞろぞろと人がひしめきあつて…(中略)…
かがり火が水に映り、衣装の金糸銀糸が火に照らされてー
それを見てゐると子供の私には、これはまるで幻夢の世界であつた。…』
(昭和25年12月7日 中国新聞 原民喜「広島の牧歌」より)
民喜少年の夢想を育んだ、美しい故郷ひろしまの川と街。
作品を味わいながら、参加者それぞれが、民喜が愛した戦前
の広島に思いを馳せます。
そのまま北へ、秋の川辺や雁木を目にしながら川辺を歩き、
(雁木のある光景も、民喜は作品内に描いています。)
ここが民喜の持ち家で、本籍も置かれていた被爆柳のある地。
柳には案内板も。
『…その借家は母の遺産として彼が貰ったのだが、次兄がずっと棲んでいた。
生涯に一度はあの川端の家で暮らしてみたい、と妻は旅先の侘住居でよく
彼に話していた。…(中略)…彼はよくその次兄の家へ立寄った。玄関に佇めば庭と
座敷と川が一目に見渡せた。その庭先の緑樹は殆ど見おさめのように絢爛
としていた。…』(「火の踵」より)
「次兄一家」とは、原時彦さんのご一家。
当時の話に、皆さん熱心に聞き入ります。
ここから更に北へと秋の川辺を。
ほんのりと紅葉し始めた木々、美しい花々が目を楽しませてくれる
京橋川沿いの緑地帯。
花々は、町内会の老若男女で成る「花咲く水辺の会」の皆さんが、
月に2回集まって定期的に手入れをし、丹精込めて育てた花を
季節に合わせて植え替えてくださっています。
水辺の会の皆さん、美しい花々と緑を本当にありがとうございます!
ここが栄橋。明治39年(1906)に豪商・熊谷栄次郎によって架橋され、
橋の名はその名一字を取って命名されたもの。
原爆にも落橋しませんでした。
『…煙は崩れた家屋のあちこちから立昇っていたが、急に焔の息が烈しく
吹きまくっているところへ来る。走って、そこを過ぎると、道はまた平坦
になり、そして栄橋の袂に私たちは来ていた。…』(「夏の花」より)
この橋の近くでひと休み。
文学散歩資料に目を通し、ゆっくりとお話を。
京橋川は栄橋より少し南、「上柳橋」東詰の「台屋(だいおく)の鼻」
で東と西に分岐。
ここからは右だけを京橋川、左に分岐した川を猿猴川と呼びます。
写真中央が台屋(だいおく)の鼻。(出鼻(でび)とも呼ばれる。)
現在は上柳橋(右)と広島駅に向かう駅西高架橋(車専用。人・自転車は併設の
駅西歩道橋を渡る)が架橋されていますが、どちらも戦後のもの。
戦前の町名からその名を取った上柳橋は昭和41年(1966)、
駅西高架橋(駅西歩道橋)は昭和61(1986)の架橋です。
昔は軍事上の理由で架橋制限をされていたのです。
「猿猴(えんこう)」とは、川に棲んでいたという、猿に似た河童の姿をした
妖怪の名。川に潜み、泳いでいる人の足を捕まえ、川の中に引きずり
込んで肛門から腹わたを抜き取る、と言われていました。
猿猴伝説など地域の逸話も聞きながら、戦前の広島の雰囲気
を感じていくと、「夏の花」の乾いた無機質な光景が、より一層
異様なものとして迫ってくるのを実感します。
今回の文学散歩には、リピーターの方、初参加の方々のほか、
の皆さん8名も参加されました。
メンバーの方々は、今年春の会の集いで作品朗読の予定でしたが、
春の集いは延期に。秋の集いも日程が合わず、発表は来年度の
集いまで持ち越しとなっていますが、皆さんよく
勉強されており、質問も積極的で大変に熱心です。
「民喜たちは、栄橋から縮景園(泉邸)へと避難し、火が廻ってきたので
そこから常盤橋袂まで筏で渡り、そこで一晩野宿したんです。
初めは砂州にいたんですが、そのうち潮が満ちてきたので
砂州から土手に上がって。私の父母と女中さん、赤ん坊だった下の妹、
民喜たちは土の窪みに横たわって一夜を明かしました…」。
原さんの言葉の一つ一つを噛みしめながら深く頷いているのは、
メンバーの1人、アメリカ合衆国出身のコピーライター&
フォトグラファーのピーターさん。(下写真左)
原民喜の研究をするためにポーランドから来日し、以来約30年在広して
大学で教鞭を取っている、会員のウルシュラさん(写真右)とも挨拶を。
大変インターナショナルな文学散歩になりました。
時間の関係もあり、栄橋からは東照宮まで車での移動です。
栄橋を渡り、対岸の縮景園(泉邸)竹藪(写真上)を眺めながら、
民喜たちが一夜を明かした常盤橋袂を経由。
(写真下は、縮景園側から常盤橋と袂の砂原を撮影。
民喜たちは縮景園から筏で川を渡ってこの砂原に辿り着き、
土手に上がって一夜を過ごしました。)
民喜と妻・貞恵が結婚式を挙げた鶴羽根神社は車窓から。
この一帯は広島城から見て鬼門(北東)に位置するため、鬼門守護の
寺社が集まっています。
本日の最終地点、広島東照宮。
民喜たち一行は縮景園対岸で一夜を明かした後、8月7日に
この境内へ辿り着き、同日夜はここで野宿。
東照宮には被災者の施療所が設けられていたことも
あって、栄橋ではぐれていた姪(時彦さんの上の妹)ともここで
再会。翌8日に馬車で八幡村へと向かうまでの約24時間を、
一行(民喜、時彦さんの父母と妹2人、女中さん)6人が
ここ東照宮境内で過ごしたのでした。
二葉山を背景に、急な階段が圧倒的な迫力です。
境内には被爆65周年に当たる2020年、民喜の言葉を刻んだ
追悼碑が建立されています。(写真下)
「コハ今後生キノビテコノ有様ヲ伝へヨト天ノ命ナランカ」
(「被災時のノート」からの一節)
追悼碑には「5年後」と題する、あの日の回想を記した民喜
エッセイの銘板も。
「一行はこの石垣(写真下、左手前の石灯籠の後ろの石垣付近)
辺りに屋根を作って野宿しました。
民喜は、ここで携えていた小さな手帳(「被災時のノート」)
に記録を綴り、それを基に八幡村で作品を書いたんです…」。
説明を食い入るように聞く皆さん。
質問も大変活発でした。
「リンクヒロシマ」のピーターさんからは、後日以下のメッセージもいただきました。
「 From the delta of Hiroshima where green leaves glisten, may peace spread to all the world.
- Peter Chordas
青葉したたるヒロシマのデルタから、 世界中に平和が広がることを心より願っています。
ピーター コーダス」
民喜の言葉によって世界に広がる平和の輪。嬉しいですね。
「世界平和の実現を願って活動しています。
朗読も頑張ります!」と、メンバーの皆さん。
その他の参加者の方々も、大変お疲れさまでした。
無事に良い文学散歩になりましたことを感謝いたします。
なお、当会の文学散歩は、地域の各町内会や近隣の方々と連携し、
また東区地域おこし課からもお力添えを賜わり、
多くの団体や個人の方々から、ご協力並びに応援やご支援を頂いております。
この場を借りまして、心からの御礼を申し上げます。
皆さま、本当にありがとうございました。
広島花幻忌の会
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11月15日(日)の生誕祭も宜しくお願い致します。
詳細は一つ前のブログ記事にご案内を掲載しております
ので、どうぞご覧ください。
(2020.10.27 中国新聞 文化欄より)
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