1905年11月15日は原民喜の誕生日。
広島花幻忌の会では毎年この日前後の週末に、ささやかな生誕祭
を行っています。民喜が生きていたら114回目に当たる今年は
去る11月16日(土)、広島市中央公民館にて恒例の集いを行いました。
秋の行事は、様々な文化的催しと重なっており、例年参加者が少ない
傾向にありますが30名もの方々にお集まり頂き、大変和やかな心温まる集い
になりました。
皆さまのご厚意に感謝しつつ、ご報告申し上げます。
遺影前に献花し、民喜と全ての原爆犠牲者の方々に黙祷を捧げます。
今回の朗読ゲストは、舞台経験者の朗読研究会「リーディング・ノッテ」
に所属し、日夜研鑽に努めながら表現活動を続けておられる高田裕志
さんです。
朗読作品は民喜の遺作「心願の国」(抄)(1951年5月「群像」初出)。
小さなランプの灯が揺れる空間に、
どこからか小鳥のさえずりが聞こえ、言葉が静かに木霊してきます。
『夜明け近く、僕は寝床のなかで小鳥の啼声をきいてゐる…
含み声の優しい鋭い抑揚は美しい予感にふるえてゐるのだ…』(「心願の国」より)
繊細で優しい言葉を奏でるように、また時に戦慄し震え慄く情感をたっぷりと。
そして最後は、微かな希望を抱いて飛び立つ小鳥のような…。
ひとつひとつ丁寧に吟味されて甦った言葉が、会場内にいる方々の心を
作品世界に引き込んでいきました。
言葉の世界にうっとりと酔いしれるような会場の雰囲気です。
最後は「かけかへのないもの」「朝の闇」など4つの詩篇で締めくくりに。
「声だけで情景が目の前に浮かび上がるような体験をさせて頂きました」
と、初めて参加した方々からも喜びの感想が。
高田さんの朗読によって紡ぎ出された素敵なひととき、民喜もきっと
喜んでいるに違いありません。
続いて事務局並びに会顧問(原民喜の甥・著作権継承者)の原時彦さんより、
北海道文学館で発見された民喜資料(長光太宛遺書、書簡など)についての
報告を。
遺書も書簡も、民喜が若き日に育んできた友情が偲ばれる内容。
を伝える書簡類など、今後の研究にも非常に貴重な資料と言えましょう。
北海道文学館からはご遺族や広島に対して再三非常に丁寧なご報告を頂いて
おり、広島の遺族・会世話人らも一同感謝している、と原さん。
北海道では来月末くらいから公開が予定されているそうです。
広島でも応援したいと検討中です。
また2019年4月より広島花幻忌の会世話人会は新体制に変わっており、
会員諸兄姉らに改めてその報告がなされました。
世話人会代表に原時彦氏長女・友光民子氏が就任。(写真右に立つ友光氏。
原時彦氏が後継者に指名されています。)
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
休憩を挟み、会事務局長で詩人の長津功三良さんの講演です。
(「わが基町物語」を巡ってー)
昨年夏に上梓された、長津さんの「わが基町物語」は、
敗戦後間もなく移り住んだ基町の被災者急造バラックでの
暮らしを綴った詩集です。長津さんの青春時代の思い出は、
全てこの地域の風景とともに…。
「天井がなく屋根だけで雨漏りは再々。水道は共同でした」。
朝は3時半に起き、家業であった新聞販売店の仕事を手伝っていた
長津さん。『冬の 雨の朝は 辛かった/ ろくな履き物もなく
素足に 下駄くらいで/手足が かじかんで/ あかぎれや 霜焼け
などが よくできた/薬は ない…』
『白骨の 堆積した/街は/あれから/変わっていないの
だろうか/ 生温かい 風が吹く/ 黒ずんだ/風が/吹く』
『やはり/あたりには/揺らめきながら/かすかに 舞う
/影たちの 群れ/…ひろしまには/いつも どこか/そんな
/場所が ある…』 (「わが基町物語」より)
70年以上経つ記憶が、現在の風景の中で立ち上がります。
などを含め、戦後生まれの世代には当時を知る非常に貴重な体験談。
会場内には、当時同じ地域で過ごした方々が幾人かお越しに
なっており、発言する方々も大変多く、分かち合いも和気藹々。
幼な馴染みの方から広島弁で語りかけられ、一瞬驚く長津さんの反応
に、会場内が微笑みに包まれるシーンもありました。
また、基町プロジェクトの皆さまには、貴重な写真を満載した資料の数々を
参加者全員に対して配布できるよう、ご手配頂きました。
ささやかな集いのために、多くの方々のお力添えを頂きましたことに対し、
この場をお借りして心より御礼申し上げます。
広島市立大学・基町プロジェクトの皆さま、本当にありがとうございました。
#原民喜#平和 #心願の国#リーディング・ノッテ#基町プロジェクト#語り部