誕生日 原民喜
雄二の誕生日が近づいて来ました。学校では、
恰度その日、遠足があることになつてゐました。
いい、お天気だといいがな、と雄二は一週間も前
から、その日のことが心配でした。といふのが、
この頃、毎日あんまりいいお天気ばかりつづいて
ゐたからです。このまま、ずつとお天気がつづく
かしら、と思つて雄二は、校庭の隅のポプラの樹の
方を眺めました。青い空に黄金色の葉はくつきりと
浮いてゐて、そのポプラの枝の隙間には、澄みき
つたものがあります。その隙間からは、遠い遥かな
ところまで見えて来さうな気がするのでした。
雄二は自分が産れた日は、どんなお天気だつたの
かしら、としきりに考へてみました。やつぱり、その
頃、庭には楓の樹が紅らんでゐて、屋根の上では雀が
チチチと啼いてゐたのかしら、さうすると、雀はその
時、雄二が産れたことをちやんと知つてゐてくれたやう
な気がします。
雄二は誕生日の前の日に、床屋に行きました。鏡の前
には、鉢植の白菊の花が置いてありました。それを見る
と、雄二はハツとしました。何か遠い澄みわたつたもの
が見えてくるやうでした。
「いい、お天気がつづきますね」
「明日もきつと、お天気でせう」
大人たちが、そんなことを話合つてゐました。
雄二はみんなが、明日のお天気を祈つてゐてくれる
やうにおもへたのです。
いよいよ、遠足の日がやつて来ました。眼がさめる
と、いい、お天気の朝でした。姉さんは誕生のお祝ひ
に、紙に包んだ小さなものを雄二に呉れました。あけ
てみると、チリンチリンといい響のする、小さな鈴で
した。雄二はそれを服のポケツトに入れたまま、学校
の遠足に出かけて行きました。
小さな鈴は歩くたびに、雄二のポケツトのなかで、
静かな響をたててゐました。遠足の列は街を通り抜け、
白い田舎道を歩いて行きました。綺麗な小川や山が見え
て来ました。そして、どこまで行つても、青い美しい空
がつづいてゐました。
「ほんとに、けふはいい、お天気だなあ」
と、先生も感心したやうに空を見上げて云ひました。
雄二たちも川のほとりで弁当を食べました。雄二が腰を
下した切株の側に、ふと一枚の紅葉の葉が空から舞つて
降りてきました。雄二はそれを拾ひとると、ポケツトに
収めておきました。
遠足がをはつて、みんなと別れて、ひとり家の方へ戻つて
来ると、ポケツトのなかの鈴が急にはつきり聞えるのでした。
雄二はその晩、日記帳の間へ、遠足で拾つた美しい紅葉の葉
をそつと挿んでおきました。
※ 初出 「近代文学」(昭和28年6月号)
本文は 定本原民喜全集 II (1978年 青土社) によります。